ブログにコメントいただき、ありがとうございます。今日はそのことについて書く。(令和元年10月24日)

毎日ブログを更新しているみっちーです。

 

ブログを更新しているといいことがある。それはうれしいコメントをもらうことだ。

 

私のブログは、本格的に書いている人のように収益を得てそれで生活しようとか、ひと様の役に立とうなんていうたいそうなブログではない。

 

趣味で書いているような、プロブロガーから見たら弱小ブロガーである。

 

それでも私のまわりでは読んでくれている人がいるし、見知らぬ人からコメントをもらうことがある。

 

先日もコメントをいただいた。

まだ全部は読みきれていませんが、2年前の文学日記の石川啄木、中原中也、吉野弘についてのブログを読ませていただきました。
なぜか涙があふれました。
思春期の入口に立ち思い悩むことが多くなった小6の息子にも見せましたが、感じることが多くあったようです。
日常に紛れて詩を読むことなど忘れていましたが、色々手にとって読み返したくなりました。

とてもありがたいコメントだ。

 

きちんと読んでくださったからこそ、このようなことばが書けるのだろうと思う。

 

実は、このコメントにあるブログとは下記のブログ。

motoshidaa-backdiary.hatenablog.com

 

「みっちーの文学日記」は、おもに詩や短歌についての感想が書かれている。

 

みずから読み返してみても感慨深いものがあったりもする。

 

もちろん、私の文章がすばらしいわけではない。引用した詩や短歌がすばらしいのだ。

 

たとえば、吉野弘の「生命は」をとりあげてこのブログ。

motoshidaa-backdiary.hatenablog.com

 

生きているのがむなしくなったときや、人生って意味があるのかなぁとか、少し悩んでしまったときに読むとグッとくるものがある。

 

吉野弘といえば「奈々子に」という詩が有名で、「生命は」を読むまではそれしか知らなかった。

 

あるとき何気なく読んでいた吉野弘の詩集。ことばの宝物を見つけた感じだった。

 

やさしいことばだが奥が深い、それが印象だった。

 

詩を読んでいると、たまに宝物を見つけた気分になる。やはり文学っていいものだ。

 

そういえば、先日読んでいた日経新聞の夕刊「読書日記」というコーナーで、近藤サトさんが漢詩の紹介をしていた。

 

その際に、

メディアの世界では、難解な表現を避け、平易な言葉に置き換えることが推奨されてきた。多様な言葉を知っている人がやさしく言い換えるのはいい。でも、言い換えられた言葉しか知らないとしたら? それは言葉が痩せてしまったということだ。漢詩は言葉の源泉。何度でも読み返したい。

と述べていた。

 

誰かが難解な文章を読んで解説する、あるいはわかりにくいことを解説すると、そのときにわかりやすいことばが使われるだろう。

 

しかし、そのわかりやすく言い換えられたことばしか知らない人ばかりになったら、世の中には「痩せた言葉」が氾濫することになる。

 

「痩せた言葉」だけ用いていて、心は豊かになるだろうか?

 

文学作品などに触れて「肥えた言葉」を読み解いていくことで心が豊かになっていくのではないか。

 

そんな気がする。

 

だからこそ、私のブログにコメントをくださった方のように、文学作品に触れて涙があふれるのだろうと思う。

 

私のブログも、少し役に立ったようだ。

 

これから、「痩せた言葉」ばかり氾濫しないように、文学日記も書いていかなきゃなぁと思う。